吉野屋について考えるサイトです
特徴 [編集]
割箸には次のような特徴がある。
* 割れていない割箸は、まだ使われていないことを示し、清潔・衛生的である。
* 割箸を割る行為は、食事を始める事を意味するけじめとなる(割裂性)。
* 素麺、ひやむぎ、うどんなどの 麺類を食べるとき、塗り箸などよりも滑りにくく、食べ物を確実に保持できる。
* 使い捨てにすると洗剤を使い洗浄する手間が省けるため、時間と人件費が抑えられる。
* りんご飴に刺したり、綿菓子を巻き付けるなどにも使え、大きめの食品を保持する場合、串よりも丈夫であり、確実に保持できる。
種類 [編集]
形状 [編集]
元禄
四方の角を切り落とし、割れ目にも溝を入れて割り易くしたもの。箸の先の断面を見ると、八角形が 2つ並んでいるように見える。
天削(てんそげ)
箸の持ち手側の先の片側を斜めに削ぎ落した形状をしたもの。箸の先を丸く加工したものが多い。
利久
千利休が考案したとされる卵中(らんちゅう)を元にして、後に作られた箸。箸の真中が最も太く、両端になるに従って細く削られていく。当初は利休と呼ばれていたが、「利を休む」という語呂を嫌った人々によって利久と改められたものが広まった。ただし、現在でも利休と呼んで誤りではない。
これもまた、中溝が彫ってある。同じ形状ではじめから割ってあるものは卵中と呼ぶ。
丁六
中溝も四方の面取りもされていない最も基本的な割箸の形状。
小判
中溝は彫られていないものの、四方の角を落してあり、丁六と元禄の中間に位置するような形状をしている。
素材 [編集]
再生を目的としたプラスチック割箸
そもそもは杉や竹を用いて作られていたが、桧やエゾ松なども多く利用される。 普及品には白樺やアスペン(ホワイトポプラ)などが用いられることもあるが、アスペンには独特の匂いがある。 素材の違いにより、杉箸、竹箸、白樺箸などと呼ばれる。
杉
見た目の木目の鑑賞性、きれいに裂ける割裂性、木の芳香、適度な強度などの特徴がある。国内では奈良県の吉野杉が代表格であり、建築資材を切り出した残りの端材(背板)を利用して作られる。
桧
木の肌が滑らか、香りがよい、耐久性が強い特徴がある。香りには天然の殺虫、防カビ抗菌効果の強い物質が多く含まれる。資材利用の板にする工程が断裁であるため、端材を利用する割箸としての歩留まりがよい。
エゾ松
木の肌目が細かい、木目が真っ直ぐで割りやすい特徴がある。北海道に自生する松の一種であり、建築資材として価値が高く割箸にも適していたが、北海道の割箸の製造業は激減している。
白樺
木質がねばり強い、安値である。白樺は樹液が多く木材としての利用は僅かで、利用されないまま倒木して朽ち果てている状況である。国内の割箸製造業者では、白樺の樹液を煮沸する事により取り去り、有効活用している。
アスペン(ホワイトポプラ、和名:白楊)
木質がやわらかい、白くて軽い、安値である。マッチの軸木として使われており、主にカナダに自生する針葉樹である。紙パルプ用の資材として日本に多く輸入されている。
竹
きれいに割れる、油をはじく特徴がある。天ぷら、うなぎ料理などの日本料理は元より中華料理でも好んで使用される。竹特有の虫の心配があるため梅雨時期を避けて採取され、カビを防ぐために製造の過程で限界まで乾燥を施し、ワサビを主成分とした防カビ材を用いる場合がある。また、竹は成長が早く竹林を維持するには頻繁に手入れを行う必要がある。国内では九州が主な生産地であったが、現在はほとんど中国からの輸入である。
プラスチック
中国の輸出規制に伴う木製箸の代替品として開発された、プラスチック製の再生利用型割り箸。素材の特性としてすべりやすいため、麺や豆をつかみやすいよう先端部分に多数の溝加工がされている。
製造方法 [編集]
スギを用いた割箸では原料として製材時に出る端材を原料とする。丸太を製材すると断面が円弧状の背板と呼ばれる端材が生じる。これを用いて割箸に加工する。家内制手工業的な小規模の工場で製造される。また、背板を輸出し、輸出した先で加工し輸入するという方法も行われている。一方でシラカバ等を原料として製造する場合は端材ではなく丸太が用いられる。丸太を合板の単板(ベニヤ)を製造する要領でロータリーレースで板状にし、それから箸に加工する。
長さ [編集]
寸を用いて基本的に4種類。割箸の独特の慣習で実際は1寸(約3cm)短い寸法となる。
* 6寸(約16.5cm)、7寸(約18cm)、8寸(約21cm)、9寸(約24cm)
6寸には「丁度六寸」の丁六箸の意味もある。 8寸は末広がりの縁起「八」を兼ねて祝い事(ハレの箸)に多く使用される。
袋 [編集]
割箸は紙でできた袋(紙袋)に入っていることが多いが、コンビニエンスストアで弁当などの付属品として提供されるものはポリエチレン製である。紙袋に入ったものは割箸の一部が露出しているものと密封されているものがあるが、ポリエチレン袋に入ったものはすべて密封されている。
紙袋に「おてもと」と書いてあることがあるが、これは「手もとに置く箸」という意味の「お手もと箸」が省略されたものである[1]。また、紙袋にはその提供元の店名やその連絡先(住所及び電話番号)が書かれていることもある。
コンビニエンスストアや弁当屋で提供されるものには袋内に爪楊枝が一緒に入っていることがあり、その際には爪楊枝で怪我をしないようにとの注意書きがある。
歴史 [編集]
正確な起源は不明であるが、1709年(宝永六年)に書かれた出納簿のなかに「瘁iすぎ)はし」、「はし」と並んで「わりばし」が記載されている。[2]
江戸時代では、割箸は衛生的なものと見られていた。前近代では水は自由に手に入るものではなかった為、どこでも好きな時に食器が洗えるわけではなかった。その為、使い捨てができる割箸は衛生的な文化と見られていたわけである。結果的に料理店で割箸を扱っている店は衛生管理ができている店であると当時は捉えられていた。使い捨て文化が衛生的である、と言う考え方は近代化が進んでいた当時のヨーロッパでも同じことが言えたらしく、現在で言う、使い捨てのティッシュペーパーと同じ役割をはたしていた日本の懐紙の文化を観た外国人は、この国は衛生的な文化だ、と評価している(幕末時のヨーロッパでは鼻をかむ際に同じハンカチを何度も使用していた為)。しかし、文明が発展し、衛生的な水が自由に手に入る時代に変化していくと、後述のように使い捨て文化が問題視されるようになってくる(文明の変化が感性にも影響を与えた)。人口増加にともなう物品需要の増大と大量消費が逆に衛生管理の問題も引き起こす結果となっている(戦後、日本の人口は幕末期の4倍となっていることからも分かる)。
割箸をめぐる諸問題 [編集]
環境問題 [編集]
使い捨ての象徴としてしばしば割箸は批判の対象とされる。1940年頃からすでに割箸の使用は批判されている。その後もたびたび論争が巻き起こっている。今日に繋がる森林破壊の観点からの批判は1989年に「割箸を使用することにより熱帯雨林が破壊される」という報道が発端であった。国内産の割箸においては間伐材や木材加工時における捨てられるゴミ(廃材・残材・余材等木材として利用価値の無いもの)から割箸や爪楊枝にして販売し、その収益を植林に利用するなどしていたものであり、国内産の割り箸を使う分には森林破壊への影響はほとんど無い。ただし一部の間伐材については、最新の木材加工技術を以てすればコストがかかるが他の利用法があるとの指摘もあり、国内産であっても一概に問題がないとは言い切れない。そして一度きりの使用で焼却(CO2を排出)するという事実は、当然どの国で作られた割り箸であろうと変わらない。
現在では海外から安い輸入品に押され、日本で使われている割り箸の9割以上は中国からの輸入品である。輸入品の多くは、割箸などを製造するために伐採した材木を用いており(ポプラは植林材を使用また建材には不向きでパルプ用材の中から径の太い15cm - 30cmの物を使用している)、乱伐や使用後の箸の焼却によるCO2の排出など、環境問題への影響が指摘されている。中国では、輸出向けの割箸製造が増えるにつれて、自国内でも消費が増えており、生育の早い竹の利用を進めるなどの動きもあるが、皆伐が進む方向にある。一方で、割り箸生産地として森林が乱開発から守られ、その分植林されている事実もある。
中国では2006年11月より資源保護政策の一環として輸出関税10%が付加されるようになった。このため、割箸を大量に使用する飲食業界では、値上がりや輸入中止などのリスクが危惧されている。松屋フーズや吉野家のように、割箸を取り止め、通常の箸(かつて学生食堂や社内食堂、大衆食堂などで使われていたもの)に切り替えた飲食チェーンもある[1]。
日本では、外食時にも割箸を使わず、自前の「マイ箸」を使う運動を進めている団体もある。また、韓国では自国の文化の保護とCO2排出量の抑制を目的として、割箸に多額の税金を課しているため、ほとんどの飲食店では鉄箸を洗って繰り返し使用している。しかし、その箸を洗浄する際の洗剤による水質汚染の問題もあるため、環境への負荷についてはどちらが重いかは一概には言えない。
また、中国から輸入された割箸に二酸化硫黄などの漂白剤・防カビ剤・防腐剤が多く残留しているものがあり、人体への影響も懸念されるため、厚生労働省が監視している。
有料での提供 [編集]
割箸は、日本の飲食店では、客に原則無料で提供しているが、中国の飲食店では有料の場合がある。ただし、その場合、洗って繰り返し使っている箸を用意してあり、無料で使える。飲食店などが客に提供するために仕入れる際は、割箸は商品であり、当然有料である。
割箸の割り方 [編集]
主に次の3種類がよく見掛けられる。
1. 体の前で保持し、両手で上下に広げて割る
2. 体の前で保持し、両手で左右に広げて割る
3. 片手で保持し、歯で片側を噛んで、片側を手で下に引っ張る
3.は、立ち食い蕎麦を食べる場合など、片手がふさがっている場合などの緊急的な場合によく行われるが、下品とされる。割った後で他人に手が当たったり、料理をこぼしたりする可能性が低い1.が最もマナーがよいとも言われる。 なお、割り口にささくれ立った部分が残り、指や唇を傷つけないようにするために、両端をこする人もいる。
割り箸を割る時は、下から3センチの部分を持って割るときれいに割ることができる。
食べ物を保持する以外の使い方 [編集]
安価で手ごろな木材として、様々に利用される機会もあるが、前述の環境問題などから、「炭酸ガスの放出」以外では、使用済みの割り箸の再利用が望ましい。
* 工作材料 - 輪ゴムと組み合わせてゴム鉄砲を作る、模型を作る、など
* 筆記用具 - 鉛筆研ぎ等で先を尖らせ、そこに墨汁や絵具を付けて用いる
* 隠し芸 - 名刺で居合い切りをする、鼻に夾んでおどける、広げた新聞紙の下に一部が隠れるように置き大気圧を利用して割る、など
* 汚れ回避 - 直接手で触れたくないものをつかむ
* マツイ棒 - 女優・タレントの松居一代が考案した掃除道具。割箸にティッシュを巻き、その上からさらに輪ゴムを巻き付けたもので、主に隙間の埃取りに使う。市販もされている
* 炊き付け、炭 - アウトドアにおける、焚き火の燃料あるいは、割り箸から炭をつくり使用する事も出来る
* 炭酸ガスの放出 - グラスに注いで、炭酸ガスが抜けてきたビ吉野家は、1899年に東京・日本橋で創業。創業者・松田栄吉が大阪吉野町(現在の大阪市福島区吉野)の出身だったことから屋号が吉野家となった。
2003年までは牛丼のみの単品販売が特徴的で、2001年夏にはコスト削減による体制を整えた上で外食大手の低価格競争に追随し、牛丼並盛一杯280円という低価格と他のファストフード店と比べても一線を画す配給スピード(築地店店長の盛り付け速度は1杯あたり15秒)で人気を集めた。バブル崩壊以降、ミスタードーナツやマクドナルドなどと共に、低価格路線を採った外食産業における代表的なチェーン店である。
他の牛丼店と同様、原料である牛肉のほとんどがアメリカ合衆国からの輸入であるため、2003年にワシントン州でBSE(牛海綿状脳症)感染牛が確認され米国からの輸入が停止されると牛肉の調達が不能になり、一時牛丼販売の休止に追い込まれ、営業の縮小や、牛カレー丼、豚丼などの代替商品の緊急投入を余儀なくされた。
* 牛丼を休止した理由として「米国産牛肉でなければ吉野家の牛丼の味が出せない」「米国産牛肉以外だったらタレの構成配分を変えなければいけない」「別の(肉をメインに使用した)牛丼を出したら「これ違う」と客から文句が出るに違いない」「長期的視野で間違いの少ない選択をするため」との見解を示している[1][2]。
創業からの組織体制 [編集]
1899年に東京都中央区日本橋にあった魚市場にて個人商店吉野家が創業された。
その後、株式会社に移行し「株式会社吉野家」となる(株式会社吉野家には2世代あり、初代は1958年の設立から1988年の商号変更まで存在(現在の持株会社)。2代目は2007年10月1日に設立し現在に至る、初代とは別の新設会社)。
(初代)株式会社吉野家は、1958年に設立された。1980年に、業績不振で会社更生法の適用を申請し、100億円の負債を抱え事実上倒産する。会社更生法適用の申請後、セゾングループ傘下で再建。1988年に同じセゾングループでダンキンドーナツを運営・展開していた株式会社ディー・アンド・シーと企業合併、社名が吉野家ディー・アンド・シーとなった(合併後も引き続きダンキンドーナツを運営していたが、業績不振により1998年にダンキンドーナツ事業から撤退)。1990年1月に株式を店頭登録、株式公開企業としての復活を果たした。さらに2000年11月には東証一部へ上場。また、アルバイト出身のたたき上げとして安部修仁の代表取締役社長(現:吉野家ホールディングス代表取締役社長)就任時には話題となった。
持株会社への新体制移行に伴い、2007年10月1日より株式会社吉野家ディー・アンド・シーから社名を株式会社吉野家ホールディングスへ変更。そして、同日、吉野家事業に特化した(2代目)株式会社吉野家を設立したため、吉野家事業は同社の運営となっている(持株会社については、#持株会社およびグループ構成企業を参照)。
沿革 [編集]
新宿南口店 都市型店舗の一例
吉野家 ロードサイド店舗の一例
代々木店 小型店舗。外観を牛丼専門店に改装した店舗の一例
* 1899年 - 東京都中央区日本橋にあった魚市場に個人商店吉野家が誕生(創業)。
* 1926年 - 魚市場の築地市場移転に伴い、築地へ移転。
* 1952年 - 24時間営業を開始
* 1958年12月27日 - 牛丼屋の企業化をめざし(初代)株式会社吉野家を設立。
* 1968年12月 - チェーン展開を開始、2号店として新橋駅前に新橋店を開店[3]。
* 1973年 - フランチャイズ事業を開始(1号店・小田原店)
* 1975年 - アメリカ1号店(デンバー)オープン。
* 1980年 - 会社更生法の適用を申請し事実上の倒産。店舗の急増に伴い、つゆのコストダウンのために粉末のつゆに変更したこと、輸入牛肉の供給不足のため、輸入制限が適用されないフリーズドライの乾燥牛肉の利用に踏み切った事などから、味の悪化による客離れの進行、さらに外食産業の発達に伴う輸入牛肉の需要増による牛肉価格の高騰から原価の上昇などの複合要因によって経営が急激に悪化した事が原因。
* 1983年 - 更生計画が認可され、セゾングループ傘下で再建に乗り出す。一時期はダイエー傘下での再建も検討されたが、最終的にダイエー側が断念。
* 1987年 - 更生計画終結。倒産の元になった債務(更生債務100億円)を完済。
* 1988年 - 同じセゾングループのダンキンドーナツ運営会社「株式会社ディー・アンド・シー」と合併し、株式会社吉野家ディー・アンド・シーとなる。
* 1988年2月 - 台湾1号店(台北)オープン。
* 1990年 - 株式を店頭公開(JASDAQ店頭市場、現ジャスダック証券取引所)。
* 1991年 - 香港1号店オープン。
* 1991年 - 中国・北京1号店オープン。
* 1997年 - 会社更生法の適用を申請した持ち帰りすし店チェーン「京樽」の再建支援に乗り出し、子会社化。シンガポール1号店オープン。
* 1998年 - 高知県に初出店し、全都道府県への出店を達成。ダンキンドーナツ事業から撤退。
* 2000年11月 - 東京証券取引所第一部に上場。
* 2001年 - フィリピン1号店オープン。
* 2001年3月 - カレーショップPOT&POTの運営会社として株式会社ポット・アンド・ポット(現・株式会社千吉)を設立。
* 2001年3月23日 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)の外食グループ会社であるジェイアール東日本レストラン(現ジェイアール東日本フードビジネス=JEFB)との業務提携により、JR駅構内1号店「駅の牛丼 吉野家 JEFB(ジェフビー)」を東京・渋谷駅のハチ公口高架下にオープンし、同31日には赤羽駅南改札内に2号店をオープンした。
* 2001年7月26日(西日本)・8月1日(東日本) - 外食大手の低価格競争に追随し、牛丼並400円→280円に値下げ[4](2004年2月まで)。
* 2002年 - 中国・上海1号店オープン。ニューヨークのタイムズスクエア近くに開店し話題に。
* 2002年10月 - 株式会社上海エクスプレスワールドワイドの運営する「上海エクスプレス」および「ニューヨーク/ニューヨーク」の営業譲渡を、子会社・株式会社築地家が受けて、株式会社上海エクスプレスに商号変更。
* 2003年1月31日 - 株式会社三幸舎ランドリーセンターの株式を51%取得し、子会社化(障害者雇用の特例子会社)。
* 2003年8月1日 - 株式会社石焼ビビンパの増資に応じて、出資比率を18%から67.2%に上げ子会社化。
* 2004年1月15日 - マレーシア1号店オープン。
* 2004年2月11日 - BSE問題の影響でアメリカ産牛肉の輸入停止による影響を受け、一部店舗を除き牛丼の販売を休止(詳しくは後述参照)。
* 2004年6月1日 - 讃岐うどん店のはなまるうどん運営会社の株式会社はなまると資本業務提携。33.4%出資してグループ企業化。
* 2004年10月25日 - オーストラリア1号店オープン
* 2004年10月27日 - 中国・深?1号店オープン
* 2005年4月7日 - 西洋フードシステム九州から分割して新設された、九州吉野家の全株取得して子会社化。
* 2006年5月19日 - 株式会社はなまるへの出資比率を51%に高めて、子会社化。
* 2006年9月6日 - 安部社長が記者会見を行い、2年7ヶ月ぶりに牛丼の販売を9月18日に限定再開する件を発表。
* 2006年9月18日 - 「牛丼復活祭」限定100万食プロモーションキャンペーンを実施。有楽町店での復活イベントを各マスコミが報道、虎ノ門店にはジョン・トーマス・シーファー駐日アメリカ大使が来店し、牛丼復活を祝福するなど米国産牛肉のPR活動を行った。
* 2006年12月 - 相次ぐ飲酒運転事故に対する社会的な批判を受けて、駐車場付き店舗全店におけるアルコール類(冷酒・ビール)の販売を、在庫がなくなり次第中止する(駐車場のない店舗については今後も販売を継続)。
* 2007年2月28日 - 2007年10月1日をもって純粋持株会社への移行を発表。
* 2007年8月30日 - 「びっくりラーメン」チェーンを運営するラーメン一番本部が民事再生法の適用を申請したのを受けて、大阪地裁の許可を条件に店舗や工場などの事業を譲り受ける形で支援に乗り出す方針を発表。成り行きは違うが所縁の地は、奇しくも同じ大阪市福島区吉野である。
* 2007年10月1日 - 持株会社体制への移行に伴い、株式会社吉野家ディー・アンド・シーから社名を株式会社吉野家ホールディングスへ商号変更。また、吉野家事業に特化した100%子会社の(2代目)株式会社吉野家を同年同日に設立(後述)。
* 2007年10月11日 - 2007年8月中間決算発表の会見で吉野家HD社長は「吉野家は全国一律という価格戦略を転換する」方針を発表[5]。発表時点では具体的な実施時期・地域・内容は未定であり、明確な値上げのスタンスには否定的[5]。
* 2007年11月1日 - 四国内の店舗を運営していたフランチャイジーの株式会社グローバルフードサービスから会社分割する形で株式会社四国吉野家を設立、同時に株式会社吉野家の完全子会社化[6]。
* 2007年11月27日・12月5日?12月11日 - 「歳末牛丼祭」として、期間限定であるが2004年2月以来、約3年10ヶ月ぶりに牛丼の24時間販売を行う事と牛丼・牛鮭定食・牛皿の50円引きセールを行う事を2007年11月27日に発表し、同年12月5日午前11時から同年12月11日午前零時までの1週間限定で実施された[7][8]。
* 2007年12月12日・27日 - 業績不振で支援先を探していたステーキレストラン最大手の「どん」を吉野家HDが子会社化することで両社が大筋合意し[9]、同月27日資本・業務提携すると正式発表[10]。翌2008年2月末にどんは持ち分法適用会社となった[11]。
* 2008年3月17日・20日 - 牛丼の主原材料となる米国産牛肉の調達先開拓が進み、終日営業に必要な量の確保が可能となった事により、全国の吉野家約1040店で牛丼の常時24時間販売を再開すると3月17日発表、同月20日実施[12]。また「完全復活」を記念して特別割引券を全国の主な店舗で枚数限定にて同月20日午前0時より配布[12]。
* 2008年4月21日・23日 - 伊藤忠商事が吉野家向けに2007年8月に輸入した米国産牛肉(ナショナルビーフ社カリフォルニア工場出荷)700箱中1箱から特定危険部位の脊柱が混入していた腰部の肉を吉野家の加工工場「東京工場」(埼玉県大利根町)で4月21日発見、農林水産省と厚生労働省は同月23日この事実を発表[13][14][15]。問題の牛肉は工場でのチェック体制がきちんと働いたことにより、消費者には販売されていないため「吉野家の牛丼は安全だ」と同社は強調した[14]。
* 2008年6月 - 持ち株会社化により当月以降配布の株主優待が変更され、吉野家とおかずの華以外に石焼ビビンバと千吉及びピーターパンコモコでも使用可能となった。
* 2008年9月19日 - 吉野家においてイオンの電子マネーWAONを導入に関し基本合意[16]。2009年春より順次展開し、2011年度中に全店導入完了予定となっており、吉野家WAONカード(仮称)も発行する予定となっている[16]。
* 2008年10月7日 - 単独の牛丼チェーン店舗数(2008年9月末時点)で、ゼンショーが運営する「すき家」が首位(2008年9月末現在、1,087店舗)となり、吉野家が2位(2008年9月末現在、1,077店舗)に転落した事が判明[17]。
* 2009年1月26日 - 日本国外の事業展開迅速化のため子会社「株式会社吉野家インターナショナル」設立を発表、事業開始は同年3月1日[18]。
* 2009年3月 - 吉野家HDが、赤字の続く傘下子会社・上海エクスプレスの全株式を、ジェーシー・コムサの子会社であるベネフィットデリバリーに1円で譲渡(予定)
* 2009年5月11日 - 電子マネーWAONを沖縄県全店舗に導入完了[19]、他地域も順次導入予定[20]。
メニュー・サービス [編集]
主なメニュー [編集]
牛丼 並の一例
新味豚丼 並の一例
メニュー(各種定食リニューアル前)
* 牛丼 - 並・大盛・特盛
o 吉野家の主力商品。注文における構成比は、BSE問題などの影響で減少してはいるものの、6割弱を占める(2008年5月時点)[21]。
* 豚丼 - 並・大盛・特盛
* プレーンカレー - 並・大盛
* 牛焼肉定食 - 並・大盛
* 豚生姜焼定食 - 並・大盛
* 牛すき鍋定食 - 並・大盛
* 牛鮭定食・豚鮭定食・朝定食(3種類)
* 親子丼 - 過去に一部店舗で期間限定品や試験的商品として扱ったことがあるが[22]、今回は定番メニューとして全国の店舗にて2009年2月10日より順次展開[23]
など。
その他詳細メニューについては「吉野家」公式サイトを参照
* アルコール類(冷酒・ビール)は飲酒運転事故防止の観点から、2006年12月以降は店舗環境によって提供の有無が異なっており、駐車場付き店舗は全店販売無し、駐車場のない店舗については一人3本まで販売となっている。風営法が定める公安委員会の許可を取っていないため提供時間は6時?24時までとなっている。
* 期間限定メニューが提供されたり、一部店舗において限定・試験メニューの販売が行われているケースもある[24]。
o 一部店舗ではそばを扱っている(後述)。
o 2007年より夏季総量限定でうなぎ使用メニューを提供している[25]。
o 沖縄県内の吉野家では、レギュラーメニューとしてタコライスが存在する(24時間提供)[26]。 また、県内数店舗では牛丼バーガー(牛丼の肉やタマネギに千切りのレタスが入った具を、牛丼のつゆで炊き上げたご飯で挟んだもの)が試験販売されている。[27]
注文時の専門用語 [編集]
メニューには載っていない、専門用語を使ったオーダーも一部受け付けている[28][29]。
* つゆだく - つゆだくさんの略。汁が多め。丼を少し傾けただけで汁が見える。
* つゆぬき - 具の汁を切って載せる。玉を上下に振って汁を切る。
* 半熟 - 半熟卵の店員による略称のこと。
* 頭(あたま)の大盛 - ご飯の量は並で具の量が大盛(大盛り料金)。
* 頭(あたま)の特盛 - ご飯の量は並で具の量が特盛(特盛り料金)。
* かるいの(ご飯「小」) - ご飯を少なくすること(用例「かるいのいっちょう」)。
過去
* つゆだくだく - 通常店舗にて原則としてこの様な特殊オーダーは存在しない。実際に使っているお客はつゆだくの意味すら知らない人も少なくない。但し過去にはこの様にして注文を受け付けていたこともあるため、その名残で使用している客や、「だく」の数を増やすほど「更に追加量が増える」の意図で使用している客もいる[28]。そのため営業部(地域単位)での対応に若干差見受けられる(店長及びお客様相談室談)。
* ネギ抜き - タマネギを抜いた具。「肉のみ」ともいうが、断られることもあった。普通に盛ってからネギを抜くのが正式で、その分肉が増えるわけではない。豚丼では出来ない場合が多かった[30][31][32]。
* ネギだく - 具のネギを多めに入れたもの。牛丼復活後は断る店舗が多かった。これも豚丼では出来ない場合が多かった[30][32]。
築地店のみ使用される専門用語の例[28][31][33][34]
* ご飯系
o ツメシロ - 冷ました白ご飯に熱い牛肉汁だくをかけたもの。市場の従業員が早く食べるため。
o アツシロ - ご飯をレンジで更に熱くした牛丼。または、蒸らし中や炊き上がり直後のご飯(そこに生玉子をかけると、余熱で半熟状態になる)。
o 半シャリ - ご飯半分。
o 極かる - ご飯少量。
o 極々かる - ご飯さらに少量。
* 肉系
o トロだく - 脂身(トロ)を多めに入れたもの。
o トロ抜き - 脂身を少なめにしたもの。鍋底の方の肉。
* ネギ系
o ネギちょい抜き - ネギを少し抜いたもの。
o ネギちょいだく - ネギを少し多めに入れたもの。
o ネギだくだく - ネギをさらに多めに入れたもの(「だく」の数が増えるほどネギの量は増えるので、「ネギだくだくだく」などの表現方法もある)。
o ネギだけ -これにはさらにヤワネギとカタネギの2種類がある。前者は柔らかく良く煮込んであるもの。後者は煮込まれていない堅いネギ。
普通の店舗でネギ増減(ネギダク・ネギ抜き)の注文は終了したが(前述)、築地店に限り可能でネギだくは肉の量は減らない状態でネギが増量される。
* つゆ系
o つゆちょい抜き
o 完全つゆ抜き
o つゆちょいだく - つゆだくよりもご飯へのつゆの浸り具合がやや軽い。
o つゆだくだく
* 味噌汁系
o 冷汁 - 冷ました味噌汁かけんちん汁を牛丼にかける。
o お湯割り - 味噌汁のお湯をつぎ足し、薄くする。
* その他
o 黄身だけ - 卵の黄身の部分のみ。
o 芯だけ - お新香の白菜の芯の部分のみ。
など。
築地店では、こだわりの注文法を持った、市場内で働く業者の常連が多く存在し[28][34]、それに合わせて多種多様な注文に対応できるマニュアルを用意しており[33][34]、吉野家店員も了解して準備していることなので[28][31][33][34]、他の店舗では不可能[35]。
原材料・調理 [編集]
原材料
主要メニューの牛丼に使用されている原材料の産地は下記のようになっている(表記は使用量の多い順である。2009年2月時点)[36][37]。
* 牛肉 - 米国、その他(メキシコ、オーストラリア[38]等)
o 牛丼に使用する部位は「ショートプレート」と呼ばれる穀物肥育牛のばら肉で、生産量の関係から主に米国産を中心に使用しているが[39]、オーストラリアでもそれを生産しているので、以前から現在に至るまで、少ない割合ではあるが牛丼にも豪州産牛肉を使用している(牛肉総使用量の内、豪州産の割合は牛丼休止前:1%前後、牛丼販売再開後2006年時点:10%程度となっている)[38]。
o 吉野家は必ずしも米国産牛肉にこだわっているわけでもなく、「“安い・美味い・早い”が実現できる牛肉(ショートプレート)を、他に安定供給してくれるところがあったら米国産牛肉ではなくてもいい」との見解を示している[39]。しかし、その条件を実現できる産地はアメリカのみで、それ以外は絶対的に不足する状況のため、結果的に米国産牛肉の割合が大多数を占めている[39]。
o 米国産牛肉のBSEに関する事は「#BSEによる米国産牛肉輸入停止の影響」を参照。
* 玉ねぎ - 中国、日本
* 米 - 日本
その他メニューの原材料については「吉野家」公式サイト[36][37]を参照
調理
中心メニューである牛丼の具を大鍋で煮込むための調理スペースがメインとなっており、競合他社のような焼きスペースは設けられていない。牛鮭定食などで提供される焼魚などについては一切れずつ焼くのではなく、大正時代に開発された蒸し焼き調理法を採用し、あらかじめ工場で大量にスチーム調理してレトルトパウチされているものを電子レンジや湯煎などで温めなおすことで、手間を最小限に留めている。汁物に関してもレトルトパックにされたけんちん汁や豚汁を電子レンジや湯煎などで加熱している(各手法は店舗ごとに差異がある)。牛丼がレギュラーメニューとして復活して以降、豚丼に関しては店舗で煮込んだ後に1食ごと小分けに冷蔵保存し、注文ごとに加熱提供するケースが大半となっている。
代金の支払方法 [編集]
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代金は基本的にキャッシュレジスターによる支払いとなっており、これは客とスタッフのコミュニケーションを重視しているため[40][41]、伝統的に醸し出してきたひとつの文化[40]、という意味合いがある。一部では「機会損失防止説」が券売機を置かない理由の定説として流布されているが、それは間違いであり逆に「労働生産性を徹底的に追求した場合、券売機は必然の道具」と吉野家側も認めているが、前述の理由にて収益が許す限りレジによる支払いを続ける方針としている[40]。ただし、駅ナカテナントなどの一部店舗においては券売機が導入されている[42]。
日本国内の店舗において、一部商品券やグルメカード、株主優待券などで支払いが可能(一部店舗除く)[43]。
電子マネーは2008年時点においても部分的な導入を行っている。Suica・ICOCAは一部の駅ナカ店舗で利用可能[43]。Edyは高速道路の一部サービスエリア・パーキングエリアと沖縄県全店舗で利用可能となっている[43][44]。WAONはイオングループ外初の大型導入であり[43]、2009年5月11日より沖縄県全店舗で導入開始[19]、2010年8月までに全店導入完了予定[45]、吉野家WAONカード(仮称)も発行する予定となっている[16]。
クーポンについては、CM(後述)を流して全国の店舗にて行う大規模なものから、新聞の折込チラシ、一部店舗による販促キャンペーンなど特定の範囲内で行うもの、特定商品購入時に付帯するもの[46][47]、など各種存在し、特典も店内・持ち帰りの一部商品を無料・値引き、特定条件を満たした時のみ無料・値引き、丼などの景品[48]、などと状況によって異なっている。
店舗 [編集]
基本は、馬蹄形(U字型)のカウンター席。「牛丼を単品で早く出す」ことに特化した作りとなっている[21]。吉野家の利益率の向上に一役買っているが、2008年時点では来客の8割以上が男性一人となっており、新たな客層を取り込む側面からはデメリットとなっている。そのため、ファミリー層や女性グループなど取り込みたい客層に応じて、後述のテーブル型を増やすといった出店戦略を採るようになった[21]。
特徴ある店舗 [編集]
小型の牛丼専門店
多品目メニューの展開に適さない小型店舗を対象にした単品の牛丼専門店を2007年以降展開する[49][50]。
テーブルサービス店舗を展開
吉野家の客層は男性中心で女性層や家族層に弱かったため、対策として定番のカウンター席を縮小し、2?8人程度が同時に座れるテーブル席を中心としたファミリーレストランスタイルのテーブルサービス型郊外店を増やしている(先行実験店舗として宮城県の仙台藤松店がある)[21][49][50]。
そば提供店舗を展開
今後推進していく店舗形態の一種として[51]、蕎麦、天丼などのメニューを提供する店舗を2009年6月時点で全国17店舗展開している[52]。その店名には「そば処」が入っており、看板は紺色の色彩にして通常店舗との違いを出している[52]。
全国売り上げ第一位の店舗
吉野家における全国売り上げ第一位の店舗は「有楽町店」である(2007年11月現在)[53][54]。要因として「有楽町駅に隣接」「通常の店舗より大きく客席数が多い」「回転率が高い」「オペレーション練度の高い店長・店員」等がある[53][54]。
実験的店舗 [編集]
市場調査の為、実験的店舗を開設することがある。いずれも1990年代後半頃に通常型店舗に改装、または閉店となっている。
* 吉野家USA(YOSHINOYA USA)[55]
o 吉野家が米国で展開している店舗を参考に1990年前後?1990年代後半に展開された店舗。
o 浜松町、水道橋、北浦和、上北沢、国立、東大和、沖縄などに存在した。
o メニューを米国流に呼称するのが特徴(牛丼→ビーフボウル、大きさ:並→レギュラー、大盛→ラージ、特盛→エクストララージ など)。
o 米国の店舗にあるチキンボウル(焼鳥丼)やソフトドリンクなど日本の通常型店舗と異なったメニューが存在した。
* 特選吉野家あかさか[55]
o 吉野家の高級店路線として1990年代初旬?後半頃に展開された店舗。東京都港区赤坂に存在した。
o 料亭を感じさせる外装と高級感漂う内装、テーブル、いす、食器類。肉は日本国産牛を使用。味の評判も高かった。
o メニューは牛丼などの単品が1000円前後、そのセットが各種1000円以上。その他「特選しゃぶしゃぶ」やワインなど通常型店舗と異なったメニューが存在した。
* 吉野家うどん
o 1980年代中盤?1990年前後にうどん専門店が展開された[56]。
* 他にも、惣菜専門店やカレー店など、アンテナショップを1?数店舗出店し市場調査する戦略を一時期行っていたが、調査終了後に閉店している[55][56]。
BSEによる米国産牛肉輸入停止の影響 [編集]
2003年
* 12月24日 - アメリカワシントン州においてBSE(牛海綿状脳症)感染疑惑牛発見の発表があり、同12月26日に政府はアメリカ産牛肉の輸入禁止を決定。これに対応するため、都内を中心とした11店舗で年末年始の休業や深夜時間帯(日本時間22:00から翌朝10:00まで)の営業休止を行う。
* 12月30日 - 深夜閉店店舗を123店舗に拡大。
2004年
* 1月1日 - 特盛販売中止、朝定食の終日販売。
* 1月6日 - 一部店舗で新商品の「吉野家のカレー丼」の販売を開始。その後、「吉野家のいくら鮭丼」、「豚キムチ丼」、「吉野家のマーボー丼」、「吉野家の焼鶏丼」などの新メニューを順次展開。
* 2月11日 - アメリカ産牛肉の禁輸が長引き在庫がなくなったため、牛丼、牛皿、牛鮭定食の販売休止に踏み切る。これに伴い、前日の2月10日最後の一杯を食べに熱心なファンや一般客、話題性から今まで食べたことがなかった人も店に駆けつけ、一部店舗で食べ納めの行列ができた。
o 但し、創業店として特別な位置付けがされている築地店や、出店契約や他店との兼ね合いで牛丼(サイズは常時「大盛」限定)以外のメニューを提供できない競馬場・戸田競艇場にある店舗では、国産牛などを使って牛丼の販売を継続。しかし、並盛500円、大盛650円に値上げを行った。
* 2月11日 - 茨城県神栖町(現神栖市)「124号線神栖店」で酒に酔った客が牛丼の販売中止に対して暴れ、逮捕される。
* 2月19日 - 長崎県長崎市「長崎滑石店」で酒に酔った客が牛丼の販売中止に対して店員に暴行を加え、逮捕される。
* 2月23日 - トリインフルエンザによる中国、タイの両国からの鶏肉禁輸処置で鶏肉の在庫が少なくなったとして、「吉野家の焼鶏丼」を3月中旬をめどに一旦販売中止する方針を発表。牛丼の販売中止を受けて代替メニューとして販売していたが、結局2ヶ月強で販売打ち切りとなる。
* 3月11日 - 代替メニューのカレー丼などが不調で、「松屋」「すき家」「なか卯」など他チェーンへの流出が続いているため、販促キャンペーンとして3月15日までの期間限定で「豚丼」並盛を250円に値下げ、かつ期間中は他のメニューの提供を中止。この日から、朝定食の販売時間を従来の午前5時?10時に戻した。
* 12月上旬 - オーストラリア産牛肉を使った「牛焼肉丼」の提供開始。
2005年
* 2月11日 - 牛丼の販売停止からちょうど1年のこの日、牛丼の販売再開を期待する多くの声に応え、1日限定(午前11時から各店舗ごとに売り切れまで)で、牛丼が復活販売された。吉野家の倉庫に残っていた在庫の他、国内に残る米国産牛ショートプレート肉が可能な限り集められた。吉野家の各店舗には、早朝から「1年ぶりの吉野家の牛丼」を求めようとする長い列ができた。
* 10月1日 - 豚丼、豚皿の値段を10円値上げ。同社は「牛丼で目指してきた何度食べても飽きないうまさを、豚丼でも実現するべく研究を続けてきた結果、たれの味に熟成を重ねて作り上げた自信作」としている。店内でも同内容の告知放送が行われた。
* 12月12日 - 日本政府が米国・カナダ産牛肉の禁輸措置を、月齢20ヶ月以下に限定して正式解除。
2006年
* 1月20日 - 日本の外資系商社の注文により米国から輸入された仔牛肉に特定危険部位である脊柱が混入していたことが検疫で発覚したため、再度米国産牛肉輸入全面停止を決定。
* 5月19日 - 日米専門家会合でアメリカ食肉処理施設の事前調査などを条件にアメリカ政府と輸入再開に向けて大筋合意。
* 6月21日 - 米国産牛肉の輸入再開決定で日米が正式合意。
* 7月27日 - 米国産牛肉の輸入再開解禁。
* 9月4日 - 社内イベント:牛丼復活決起集会を都内某ホールで開催。
* 9月18日 - 「牛丼復活祭」開催用に作られた特製のたれを使用。長時間煮込んだ濃厚な味が吉野家の牛丼の特徴だが、限定販売で長時間煮込むことができないため、最初からある程度味を調えた特製たれで提供された。
* 9月21日 - 今後の安定提供に向け、テストとして北海道内の店舗のみ、午前11時から午後3時までの時間限定で牛丼を毎日提供。
* 10月1日?10月5日 - 全国で牛丼復活祭を開催、期間限定牛丼販売。
* 11月8日 - 安部修仁代表取締役社長が視察したアメリカの牛肉加工業社・スイフト社から輸入された牛肉に、日本政府が危険部位にしている箇所の肉が混入していることが発覚し、同社からの牛肉輸入が停止された。
* 11月1日?11月5日 - 前月に引き続き、全国で期間限定牛丼販売。
* 12月1日 - 全国で毎日昼食時間帯(11時から15時)のみの販売開始。
2007年
* 2月21日 - 3月1日より、牛丼の販売時間を深夜0時までに延長することと、「特盛」「牛皿」「牛鮭定食」の販売を再開することが発表された。
* 10月11日 - 2007年8月中間決算発表の会見で吉野家HD社長は「2007年12月、2008年2月の第4・四半期には、来期の価格戦略や牛丼販売時間などを決めたい」とし、牛丼の常時24時間販売計画は、2007年下期分には織り込んでいないとした[5]。
* 11月27日・12月5日?12月11日 - 期間限定であるが、2004年2月以来、約3年10ヶ月ぶりに牛丼の24時間販売を行う事を11月27日に発表し、12月5日午前11時から同年12月 11日午前零時までの1週間限定で実施された。その際「まだ(牛丼の)24時間販売をフルに再開できない」と牛丼の常時24時間販売計画は未定である事を再度示した[7][8]。
2008年
* 3月17日・20日 - 牛丼の主原材料となる米国産牛肉の調達先開拓が進み、終日営業に必要な量の確保が可能となった事により、全国の吉野家約1040店で牛丼の常時24時間販売を約4年1ヶ月ぶりに再開すると3月17日発表、同月20日実施[12]。これにより、牛丼の販売時間に関してはBSE騒動による販売休止以前の状態に戻った。
* 4月21日・23日 - 伊藤忠商事が吉野家向けに2007年8月に輸入した米国産牛肉(ナショナルビーフ社カリフォルニア工場出荷)700箱中1箱から特定危険部位の脊柱が混入していた腰部の肉を吉野家の加工工場「東京工場」(埼玉県大利根町)で4月21日発見、農林水産省と厚生労働省は同月23日この事実を発表[13][14][15]。問題の牛肉は工場でのチェック体制がきちんと働いたことにより、消費者には販売されていないため「吉野家の牛丼は安全だ」と同社は強調した[13][14]。特定危険部位の混入は2006年7月の米国産牛肉の輸入再々開以降初めてとなる[14]。当該工場以外にも調達先があるため「牛肉の在庫は確保しており、24時間販売の見直しはしない」(吉野家HD広報部長)としている[15]。
BSE・中国産野菜に対する企業姿勢 [編集]
* 吉野家は、独自調査等の結果を根拠に米国産牛肉の安全を主張[38][57]している。
* 中国産野菜について、「堂々と使う。きちんと管理し検査をしている以上、中国産も国内も同じことだ。」と出射孝次郎(吉野家社長)が公言している[58]。
持株会社およびグループ構成企業 [編集]
株式会社吉野家ホールディングス
Yoshinoya holdings Co., Ltd. 種類 株式会社
市場情報
東証1部 9861 2000年11月6日上場
略称 吉野家HD
本社所在地 160-0022
吉野家 新宿本社
東京都新宿区新宿四丁目3番17号 ダヴィンチ新宿ビル
電話番号 03-5269-5280
設立 1958年(昭和33年)12月27日
業種 小売業
事業内容 外食・飲食事業
代表者 安部修仁(代表取締役社長)
資本金 102億65百万円(2009年2月28日現在)
発行済株式総数 662,405株(2009年2月28日現在)
売上高 単体38億81百万円
連結1,742億49百万円(2009年2月期)
営業利益 単体20億67百万円
連結35億82百万円(2009年2月期)
純利益 単体△6億31百万円
連結2億8百万円(2009年2月期)
純資産 単体638億18百万円
連結726億78百万円(2009年2月期)
総資産 単体646億33百万円
連結1,124億6百万円(2009年2月期)
従業員数 単体22人 連結3,459人
(2009年2月28日現在)
決算期 毎年2月末日
主要株主 伊藤忠商事株式会社 20.05%
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社 4.57%
株式会社西友 3.97%
(2009年2月28日現在)
関係する人物 松田栄吉(創業者)
松田瑞穂(2代目)
外部リンク www.yoshinoya-holdings.com
表・話・編・歴
株式会社吉野家ホールディングスは、吉野家グループの持株会社である。外食産業の競争激化に伴い、従来の牛丼中心から多角的に外食事業を行なうために、持株会社化したものである。2007年10月1日に、会社分割により吉野家事業のみを行なう完全子会社・株式会社吉野家を設立して、従来の株式会社吉野家ディー・アンド・シーが株式会社吉野家ホールディングスに商号変更する形で、持株会社化した[59]。
持株会社制に移行したことで、牛丼事業を主軸としつつ、M&Aにより他の飲食店事業を積極的に傘下におさめ、グループとして幅広い事業に進出している。そのため、牛丼事業はグループの中心事業ではあるが、グループの一事業との位置づけとなっている。
今後、少子高齢化による市場の縮小も見込まれ、日本国内の牛丼事業は大きな伸びが期待出来ない事や、牛丼事業に頼り過ぎない収益を目指す事や原材料共同調達等の相乗効果を狙う等の理由や、「総合的な外食産業になりたい」「企業買収を積極的に進める」(安部修仁社長(当時))という方針もあり、吉野家ホールディングスは多角化経営戦略を強く打ち出しM&Aを積極的に進めている[60]。しかし、牛丼以外の中核事業と位置付けている子会社が低迷しており[61]、その影響で2008年2月期連結決算は最終利益が前期比91.1%減の大幅減益となったこともあって[61]、今後不採算店舗の閉鎖や運営の効率化、不採算事業の撤退も含めて方針を見直すことも検討している[61][62]。
持株会社 [編集]
* 株式会社吉野家ホールディングス
牛丼事業子会社・関連会社 [編集]
* 株式会社吉野家(完全子会社)
o 事業部門「おかずの華」 - 総菜・弁当チェーン店事業
o 株式会社沖縄吉野家(株式会社吉野家の完全子会社)
o 株式会社北海道吉野家(株式会社吉野家49%出資)
o 株式会社九州吉野家(株式会社吉野家の完全子会社) - 2005年4月8日に西洋フードシステムから株式取得し子会社化。
o 株式会社四国吉野家(株式会社吉野家の完全子会社) - 2007年11月1日新設。グローバルフードから四国の吉野家事業を譲受
* YOSHINOYA AMERICA INC.(100%出資の完全子会社)
* 台灣吉野家股?有限公司(83.43%出資子会社)
* 上海吉野家快餐有限公司(50%出資子会社)
* 深?吉野家快餐有限公司(40%出資子会社)
* 株式会社吉野家インターナショナル[63]
牛丼以外の飲食事業子会社・関連会社 [編集]
* 株式会社京樽(50.14%出資子会社) - 「京樽」「海鮮三崎港」「すし三崎丸」などの運営
o 株式会社新杵(京樽の完全子会社)
o 旧株式会社ハミータコーポレーション - 「鮨ハミータ」の運営。2002年に京樽へ事業統合し、解散。
* 株式会社ピーターパンコモコ(完全子会社) - 「一口茶屋」「ピーターパン」などの運営
* 株式会社上海エクスプレス(90%出資子会社) - 中華・洋食料理の宅配サービス事業「上海エクスプレス」「ニューヨークニューヨーク」運営
* 株式会社千吉(旧株式会社ポット・アンド・ポット) - カレーうどん店の「千吉」「名代千吉」「伍郎蔵」、カレー店の「POT&POT」の運営。2007年3月1日社名変更。
* 株式会社石焼ビビンパ(67.17%出資子会社) - 2000年12月に18%出資の後、2003年9月に増資を受け入れ子会社化(非連結)。
* 株式会社はなまる(51%出資) - はなまるうどんの運営。2004年6月に33.34%出資し関連会社とした後、2006年5月18日に追加出資して子会社化。
* 株式会社アール・ワン(完全子会社) - 2007年8月13日設立の後、2007年10月1日に株式会社ラーメン一番本部から「びっくりラーメン」「ラーメン一番」を事業譲受され、当該事業の収益構造の変革や商品・サービスの向上に取り組み、その結果、譲渡時と比べて収益構造の大幅な改善は図られた。しかし、2009年6月18 日開催の取締役会においては、事業構造の抜本的な改革には至ることなく、また、原価の高騰、消費の低迷等の外的影響を勘案した結果、当該事業を廃止することを決定した[64]。
* 株式会社牛繁ドリームシステム(33.34%出資関連会社) - 「元氣七輪焼肉牛繁」の運営。2001年3月に10%出資、2007年9月20日に33.34%まで株式取得して関連会社化。
* 株式会社どん(51.54%出資子会社) - 「ステーキのどん」「フォルクス」「しゃぶしゃぶどん亭」の運営。2008年2月28日の第三者割当増資により関連会社化。
飲食事業以外の子会社・関連会社 [編集]
* 株式会社MRサービス(株式会社吉野家の完全子会社) - 店舗の建設・維持管理の請負会社
* 株式会社三幸舎ランドリーセンター(株式会社吉野家51%出資) - 業務用ユニフォームのクリーニング。2003年1月31日に株式の51%を取得し子会社化
広告・広報・作品 [編集]
テレビCM [編集]
* 1980年以前(会社更生法適用申請前)
o 『吉野家牛丼CMソング』(作詞・作曲:郷伍郎、JASRAC作品コード:063-8181-2)を使用したテレビコマーシャルが盛んに流れていた。
* 2007年9月「牛丼3杯目が並盛り100円」、同年12月「歳末牛丼祭(牛丼24時間販売、50円引き)」、2008年3月「牛丼24時間販売完全復活」、同年4月「新生活応援祭」
o 上記キャンペーンCMに松井秀喜が出演。前述の「明日はホームランだ」というフレーズが牛丼を食べた後に言う松井のセリフで復活(9月CM時)。「松井が牛丼を食べているように見えない」と話題になったが、実は美味しそうに食べていたことがCM放映終了後に判明(9月・12月CM時)。
* 2008年10月「牛丼関連商品80円引きセール(秋の牛丼週間)」
o 上記キャンペーンCMに佐藤隆太とアンタッチャブルが出演。
* 2008年10月からクイズ!ヘキサゴンIIのスポンサーとなった。
* 2009年4月「春のヨシギュー祭 丼・定食どれでも50円引き!」
o 上記キャンペーンCMには佐藤隆太、塚地武雅(ドランクドラゴン)、市川由衣、小野武彦が出演。
* かつてはウッチャンナンチャン、飯島愛、中居正広がCM出演していた事もある。
愛称・マスコットキャラクター [編集]
吉野家は、牛丼屋であることから 「吉牛」(よしぎゅう)と省略した愛称で呼ばれることも多い。しかし、一連のBSE問題の影響で牛丼の販売が出来なくなり、主力商品を豚丼にシフトしたことから、自然発生的に 「吉ぶー (よしぶぅ)」 という愛称でも呼ばれるようになった。吉野家側もその愛称を公認し、マスコットキャラクター「吉ブー (よしぶー)」別称:BOOちゃん(ぶーちゃん)、「吉ギュー(よしぎゅー)」別称:GYUちゃん(ぎゅーちゃん) を登場させて広報活動を行っていたが、2006年10月31日に終了した。
吉野家の表記 [編集]
吉野家の「吉」の字は、正しくは(「土」の下に「口」、??、つちよし、U+20BB7)である。しかしながら、現在の多くのコンピュータの日本語環境では表示できない。第1面以降対応ブラウザ(Firefox 1.5以降等)とJIS X 0213-2004外のUnicode SIP(第2面)文字を搭載したフォント(SimSun、メイリオ、VLゴシック、HAN NOM等)を用意する必要がある。「つちよし」はそのメジャーさとは裏腹にほとんどの文字コードで採用されていない文字だからである。ちなみにMac OS X、Windows Vista、Windows 7(β版にて確認)では標準で表示可能。
本文中では「吉野家」と表記する(公式ウェブサイトでの社名の表記には画像が用いられているが、Wikipediaほか一般では、「吉」(「士」の下に「口」)で代替表記される)。
また、キン肉マン、ひだまりスケッチなどの作中で「吉野屋」の名が頻繁に出ていた事や、競合チェーンに「松屋」が存在する事による影響から、「吉野屋」と誤表記されることが多い。過去には吉野家の家を強調する新聞広告を出した事もあった[65]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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